今日の聖句6月2日(日)\(^o^)/ まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。 詩篇23:6 毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。 使徒2:46-47 ************* 今週のテーマ:キリストの体なる教会 きょうの聖書:コロサイ1:9-20 コロサイ人への手紙1章18節19節20節 御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられました。なぜなら神は、ご自分の満ち満ちたものをすべて御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです。 「かしらであるキリスト」 コロサイ人への手紙はローマで軟禁されていたパロが書き送った手紙です。コロサイはトルコの西部の内陸にあった町です。この町にはユダヤ教徒のクリスチャンが伝道し、神秘主義や、哲学主義が宣伝されていました。それでパウロはキリストの救いと教会の本来の姿を示しました。 それはキリストの権威と、キリストによる贖いと和解の恵みを伝えることでした。教会はキリストに属し、キリストは教会のかしらであると述べています。かしらとは第一の存在であり、一番上にあるものという意味です。からだはかしらの指図によって働く実行組織です。 キリストは神様の御子であり、贖いを成し遂げたお方であり、万物を神様と和解させたお方です。教会はこのお方を頂点として存在しています。ですか私たちは贖われて神の子とされたものとして、世界に広く神様との和解を告げ知らせていく使命を帯びているのです。 教会を構成する私たちクリスチャンはお互いにお互いをキリストの体の構成員として高く評価し、お互いにお互いがそれぞれの持ち場立場で頭であるキリストに奉仕できるように協力し合うことが肝心です。自分がかしらになろうとはせず、お互いに一本の樹木の枝であるという意識を持って信仰生活をしていくことが大事です。 祝福を祈ります。