今日の聖句5月12日(日)\(^o^)/ 神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精錬するように、私たちを練られました。 詩篇66:10 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。 ヨハネ21:17 ************* 今週のテーマ:みことばを語る者 きょうの聖書:イザヤ6:1-8 イザヤ書6章6節7節8節 私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」 「信仰のきよめ」 これは若い日のイザヤの経験です。セラフィムは天使ですが、セラフィムということばには「燃える」という意味があります。イザヤは自分のこころの汚れを知っており、又、神様のきよさも知っていました。こころの汚れは口から出ることばに表れるものですが、神様はセラフィムに持たせた燃える炭によってイザヤの口とことばをきよめました。 きよめとは信仰が純粋になることであり、心と生活がすべての罪から切り離されることです。きよめられたイザヤは神様のみことばを語る者とされ、汚れたユダヤ社会へ遣わされて行きました。人は自分で自分をきよめることはできません。汚れた人間が何をしても自分をきよめることはできません。汚れたぞうきんでどこを掃除しても汚れが広がるだけであることとと同じです。 きよい神様によってきよめて頂く以外に手段はありません。神様はご自身が用いようとする人物をご自身の御手によってきよめてくださいます。イザヤには神様から燃える炭火が与えられましたが、私たちにはイエス・キリストの十字架が与えられています。イエス様は私たちを十字架によってきよめてくださいました。 私たちはキリストによってきよめられたことを信じるのです。きよめは信仰によって受け止めなければなりません。信仰をきよめられた私たちは大胆に神様のみことばを語れるようになれます。それはキリストの復活を証言することです。信仰が不純であるとキリストが復活したという証ができません。しかし、信仰がきよめられると何も恐れるものがないのでキリストの復活を証できるのです。 祝福を祈ります。