今日の聖句5月5日(日)\(^o^)/ 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。 詩篇42:1 使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増し加えてください。」 ルカ17:5 ************* 今週のテーマ:一つとなるため きょうの聖書:ヨハネ17:20-26 ヨハネの福音書17章22節23節 わたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。 「一つとなるため」 最期の晩餐の席でのイエス様の祈りが続いています。使徒や弟子たち初め、彼らの伝道によってキリストを信じるようになる、全てのクリスチャンのためにイエス様が祈っている祈りの言葉です。三位一体の神様が互いに愛し合いつつ、一つであるようにクリスチャンも神様との深い愛の交わりの中で一致し、一つになっていくようにと祈ってくださっています。 三位一体の神様はお三方で一つの神様ということです。この御方は信じるクリスチャンの心を住み家とし、信じる人の心に愛を与え、愛を植え付けていきます。「わたしは、あなたがわたしに下さった栄光を彼らに与えました」と言われていますが、ここでいう栄光とは神の愛のことです。御父が御子にお与えらになった愛を、御子が、御子を信じるクリスチャンにお与えになるのです。 神様の愛によって一つにされるのですが、同じ愛の神様を信じていれば、自動的にクリスチャンは一つになるというわけにはいかないようです。それはクリスチャンになったといえども、その心の中に自己中心性があるからです。人間の自己中心がキリストを十字架に釘づけているので、問題はとても根深く、イエス様が十字架と復活にかけて何とか成し遂げたい願いなのです。 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」という(ガラテヤ2:20)パウロもこの信仰によって神様と一つになるということを味わっています。 祝福を祈ります。