今日の聖句4月28日(日)\(^o^)/ 私の心:を一つにしてください。御名を恐れるように。 詩篇86:11 神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。 ピリピ2:9-11 ************* 今週のテーマ:この世にあって きょうの聖書:ピリピ1:20-26 ピリピ人への手紙1章20節21節22節 私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。しかし、肉体において生きることが続くなら、私の働きが実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいか、私には分かりません。 「キリストがあがめられること」 ピリピ人への手紙はエペソ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙と共にローマで幽閉されていたパウロによって書かれたものです。今日の聖書箇所にはパウロの生活の動機と生存の意義が書かれています。獄やに捕らわれている身でただひたすらキリストの御名が崇められることだけを望んでいます。 生きていても死ぬにしても、パウロの身によってキリストが高められ、大きくされることを望んでいるのです。それは肉眼では見えないほどの物でも顕微鏡を使うことによって拡大されて見えるように、パウロの存在によってキリストの姿が大きく表されることを望むということです。 パウロは法廷での裁判を待っている状況です。その裁判の席で、有罪になろうが死刑の判決がでようが、堂々とイエス・キリストの復活を証言し、キリストを信じる者に与えられる救いのすばらしさを証言しようとしているのです。主の祈りの冒頭にある「御名が崇められますように」という祈りがパウロの心を満たしています。 私たちも自分の身によって、キリストの栄光を現し、世の人には見えないキリストを私たちの言葉や生活によって見させることです。私たちの存在がキリストを拡大して見せるレンズの役割をしなければなりません。これがキリストに仕えて生きるパウロの生き方であり、私たちが手本として受け取るべき生き方です。 祝福を祈ります。