今日の聖句4月27日(土)\(^o^)/ あなたは言う。「私は潔白だ。確かに、御怒りは私から去った」と。あなたが「私は罪を犯してはいない」と言うので、今、わたしはあなたをさばく。 エレミヤ2:35 「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」 ルカ23:42 ************* 今週のテーマ:永遠のいのちのパン きょうの聖書:マタイ6:7-15 マタイの福音書6章7節8節 祈るとき、異邦人のように、同じことばをただ繰り返してはいけません。彼らは、ことば数が多いことで聞かれると思っているのです。ですから、彼らと同じようにしてはいけません。あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。 「端的な祈り」 教会などで祈るときの祈りは端的に祈ることが必要です。ある場合、信仰の進んでいる人が長い祈りをするのを聞くと、自分も長く祈らなければならないと思うことがあります。しかし、長い祈りは礼拝や集会の妨げになるのです。それは見栄であり、自分を立派に見せようとする悪い欲の表れでもあります。 異邦人のように、と言われましたが、長い祈りはユダヤ人が街角などで祈るときにも多々見うけられます。また、キリスト教会の中でも祈っているふりをする人もいます。体をゆすったり、唇を振るわせたりしますが周囲にいる人に見せているだけです。そのようなことは無駄です。 カトリックなどでは胸のあたりで十字を切るという仕草があります。これも同じです。野球やサッカーなどの試合中に選手がしゃがみこんでやっています。イエス様は「あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです」と教えていてくださいます。 その上で、教えた祈りが私たちが祈っている「主の祈り」です。この主の祈りを自分の祈りとして心を込めて祈ることが大事です。自分の祈りの気持ちとして主の祈りを捧げられるようになることは信仰の成長そのものです。うわの空で祈れば意味が薄くなりますが、心が伴えば実に巣はらしい祈りになるのです。 祝福を祈ります。