今日の聖句4月6日(土)\(^o^)/ 私の舌は告げ知らせます。あなたの義を。日夜あなたの誉れを。 詩篇35:28 キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。 コロサイ3:16 ************* 今週のテーマ:復活のおとずれ きょうの聖書:使徒2:14-24 使徒の働き2章23節24節 神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。 「復活の証言」 この記事はペンテコステの朝のことです。イエス様は十字架で死に、埋葬され、三日目によみがえり、四十日間にわたって復活後の姿で弟子たちを導き、オリーブ山から天に昇りました。その十日後、聖霊が降ったのです。聖霊を受けた弟子たちは信仰と力に満たされました。 聖霊を受けた弟子たちは外国語を話せるようになり、近隣諸国からエルサレムに来ていた人たちにキリストの復活を証したのです。それを聞いた群衆は酒に酔っているのだろうと言ったり、何故ガリラヤの人たちが、我々の言葉を話せるのだろうと言ったのでペテロが説教を始めました。 その説教の一部がきょうの聖書です。ペテロは「神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです」と叫んでいます。死者がよみがえることなどあり得ないというのが一般の考えですが、ペテロたちにはイエス様が死につながれていることなど、あり得なかったからです。 弟子たちはキリストの復活の目撃者であり、復活の後40日間にわたって復活したイエス様から信仰の指導を今日の聖句4月7日(日)\(^o^)/ イスラエルの子らは主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたが良いと思われるように何でも私たちにしてください。ただ、どうか今日、私たちを救い出してください。」 士師記10:15 一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』 ルカ18:13 ************* 今週のテーマ:キリストの死と復活にあずかる きょうの聖書:ローマ6:1-11 ローマ人への手紙6章3節4節 あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。 「洗礼」 イエス様が死んでよみがえったという事実は私たちの心と生活に定着しました。よみがえったイエス様が今私たちの心の中でいのちとなり、光と希望になっていてくださいます。私たちは信仰によってイエス・キリストに連なるものとされたのです。新しいいのちによって着実に神の御国への道を歩み続けています。 昔のユダヤでは異教徒がユダヤ教に改宗したしるしとして洗礼をしていました。今の洗礼は、イエス様が死んだように私たちも水に沈み、イエス様がよみがえったように水の中から立ち上がります。これがキリストの死と復活に与るということを象徴する儀式です。 洗礼が象徴としての儀式だけでなくこの信仰が実質のあるものでなければなりません。キリストが死んだように私たちも死ぬということは、現実にはイエス・キリストが十字架で死んだのは、私の身代わりとして死んだのであり、罪びとである自分が神様から処刑されて死んだのだということを信じるということです。従って罪びとである自分は既に存在しないのです。 イエス様はよみがえって神様の右の座に着き、神様と共に生きるようになりました。キリストを信じる人はキリストのようによみがえるのです。罪びとである自分は死に、キリストを信じて生きる自分が神の子とされてよみがえったのです。大事なことは、私たちを新生させてくださった神様の愛と力に感謝して生きることです。 祝福を祈ります。