今日の聖句4月4日(木)\(^o^)/ わたしが主である。ほかにはいない。わたしは光を造り出し、闇を創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを行う者。 イザヤ45:6-7 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。 黙示録1:18 ************* 今週のテーマ:復活のおとずれ きょうの聖書:ヨハネ20:1-9 ヨハネの福音書20章6節7節8節 彼に続いてシモン・ペテロも来て、墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた布は亜麻布と一緒にはなく、離れたところに丸めてあった。そのとき、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来た。そして見て、信じた。 「愛の力」 日曜日の朝早く、マグダラのマリヤはイエス様の墓に来ました。墓の入り口を塞いでいた石が取りのけられているのを見て、ペテロとヨハネに「だれかが墓から主を取って行きました」と告げました。ペテロとヨハネは急いで墓に行き「イエス様の頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た」のです。 ヨハネは、それを見てイエス様の復活を「信じた」のです。イエス・キリストの復活した姿ではなく、アリマタヤのヨセフがイエス様の遺体を包んだ亜麻布が残されていたのを見ただけで直感的に察知してイエス・キリストがよみがえったことを信じることができたのです。 2節に「イエスが愛された、もうひとりの弟子」と記されています。イエス様から愛された弟子ヨハネはキリストの復活に関する旧約聖書を理解していなかったのに、イエス様に愛されている愛によって、復活のイエス様を見ないで、イエス様が復活したことを察知し、信じることができました。 愛にはそういう信じさせる力があります。私たちは聖書によって神様の愛を知ります。説教や証しによって愛を知ります。何よりもイエス様の身代わりの死によってイエス様の私個人への愛を知ることができ、イエス様を深く愛せるようになっていきます。 祝福を祈ります。