今日の聖句3月27日(水)\(^o^)/ 主が貧しい人の右に立ち、死を宣告する者たちから彼を救われるからです。 詩篇109:31 私の愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束された御国を受け継ぐ者とされたではありませんか。 ヤコブ2:5 ************* 今週のテーマ:主の受難 きょうの聖書:マルコ15:1-5 マルコの福音書15章2節〜5節 ピラトはイエスに尋ねた。「あなたはユダヤ人の王なのか。」イエスは答えられた。「あなたがそう言っています。」そこで祭司長たちは、多くのことでイエスを訴えた。ピラトは再びイエスに尋ねた。「何も答えないのか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているが。」しかし、イエスはもはや何も答えようとされなかった。それにはピラトも驚いた。 「ピラトによる裁判」 この時代のユダヤはローマ帝国の属国でした。そしてローマ皇帝はユダヤ人の宗教裁判による死刑判決を認めませんでした。イエス様を捕えたユダヤ当局はイエス様に対する死刑の判決を求めてローマからユダヤに派遣されている総督ピラトに訴えたのです。 ピラトからの「あなたはユダヤ人の王なのか」という尋問に対してイエス様は「あなたがそう言っています」と答えただけで、後は一切何も答えませんでした。ピラトは自ら裁判してみてイエス様に何の罪もないことを確認しました。また、ピラトの妻はイエス様支持者であり、夫に「あの人にはかかわらないでください」と伝えていました。 ピラトはイエス様を「罪なし」として釈放する努力をしました。それはユダヤのこの時期が「種無しパンの祭り」(過ぎ越しの祭り)という時期に当たっていたために囚人を解放する習慣があったからです。この法廷に群衆が集まり、「いつものように釈放を行ってください」と叫んでいたのです。 そこでピラトはイエス様を釈放しようとしたのですが、もう一方の祭司たちに扇動された群衆が、「十字架につけろ、十字架につけろ」と騒いだので、暴動に発展することを恐れてイエス様の釈放を見送ることになってしまいました。暴動がおこると自分がローマ皇帝から咎められて総督の地位を失うからです。ここでも保身が前面に出ています。 祝福を祈ります。