今日の聖句3月26日(火)\(^o^)/ 海の中に道を、激しく流れる水の中に通り道を設ける。 イザヤ43:16 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。 ヨハネ14:3 ************* 今週のテーマ:主の受難 きょうの聖書:マルコ14:43-50 マルコの福音書14章44節45節46節 イエスを裏切ろうとしていた者は、彼らと合図を決め、「私が口づけをするのが、その人だ。その人を捕まえて、しっかりと引いて行くのだ」と言っておいた。ユダはやって来るとすぐ、イエスに近づき、「先生」と言って口づけした。人々は、イエスに手をかけて捕らえた。 「口づけによる裏切り」 これは木曜日の夜のことです。イエス様はゲッセマネで祈り終えてからオリーブ山に登って来ました。距離は800メートルほどです。そこへイエス様を裏切るイスカリオテ・ユダが現れます。ユダは捕縛隊に予め「私が口づけをするのが、その人だ。その人を捕まえて、しっかりと引いて行くのだ」と言ってありました。 そしてユダがイエス様に近づき「先生」と言って口づけしたところ、人々は、イエスに手をかけて捕らえたということです。口づけによる裏切りです。誰がイエス様なのか判別ができなかったからです。このとき、そばに立っていた一人(ペテロ)が、剣を抜いて大祭司のしもべに切りかかりその耳を切り落としたと言いますが、イエス様はその耳を癒し、堂々と引かれてゆきました。 耳を切られた男はマルコスであると言われています。ご自分は捕えられ間もなく死を迎えるという時に、ご自分を捕えたいわば敵である人を癒されたイエス様の愛の輝きがここにあります。ところが対照的に、イエス様が捕まると弟子たちはイエス様を見捨てて逃げてしまいました。自分たちが捕まることを恐れたのです。 弟子たちにはイエス様のお気持ちやお考えが通じていないのです。強いようで弱いのは人の心です。従いますと言い、誓いますと言っても身に危険が迫ると保身だけが前面に出て来るのです。救い主イエス様は御父の御計画に従って十字架に向かって前進しています。贖いの完成は着々と近づいてきています。 祝福を祈ります。