今日の聖句3月21日(木)\(^o^)/ 神は季節と時を変え、王を廃し、王を立てる。知恵を授けて賢者とし、知識を授けて悟りのある者とされる。 ダニエル2:21 あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。 1コリント1:30 ************* 今週のテーマ:キリストの愛につながる きょうの聖書:ガラテヤ2:19-21 ガラテヤ人への手紙2章19節20節 私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。 「心のきよめ」 ここに信仰によるきよめの極意があります。罪びとである私は十字架で死に、キリストが私の内で生きているという信仰を持つことです。イエス様が十字架で死んでくださいましたが、その時、罪びとである私も死んだのだということです。イエス様は私たちの心を住居とされる方です。イエス様が私たちの心の中で生きています。 クリスチャンになって罪の赦しを受けて救いの喜びを味わった私たちですが、日常生活の中で悪い感情に支配されたり、罪を犯したりして心に迷いが生じる場合があります。もしかすると天国へ行けないのではないか、キリストに捨てられるのではないかというような不安に駆られることがあります。 私の心は汚れて、私の信仰も汚れているいう思いになることがあるのです。パウロも同じでした。しかし、パウロはその迷いを払拭して、罪びとである私は十字架で死んだ、既に神様の処罰を受けたのだ、今生きているのはキリストだと断じたのです。これがキリストの身代わりの死です。 神様は罪を決して見逃すお方ではなく、必ず処罰します。全世界の罪びとの処罰がイエス・キリストの十字架の死だったのです。私たちとキリストをつなぐものそれが十字架です。キリストの十字架を見上げ、キリストの十字架から目を離さずに生きることです。罪びとである私もイエス様と一緒に神様の処罰を受けたのです。あとはイエス様に頼って生きるばかりなのです。こうして私たちの心と信仰はきよめられるのです。 祝福を祈ります。