今日の聖句3月20日(水)\(^o^)/ 主が私に良くしてくださったすべてに対し、私は主に何と応えたらよいのでしょう。 詩篇116:12 自分が癒やされたことが分かると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリア人であった。 ルカ17:15-16 ************* 今週のテーマ:キリストの愛につながる きょうの聖書:ヨハネ4:13-21 ヨハネの福音書4章13節14節15節 イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」彼女はイエスに言った。「主よ。私が渇くことのないように、ここに汲みに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」 「永遠のいのちへの水」 サマリヤの女性との会話が続いています。場所はスカルという小さな村の近くにある「ヤコブの井戸」の傍です。井戸の水はノドの渇きを癒します。キリストが与える水は心の渇きを癒します。水は聖霊で、癒しは喜びの救いです。私たちにはキリストから与えられる水がなくてはなりません。 この「水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません」と言われ、更に、この水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。「わき出す」という言葉は、ジワジワとではなく、間欠泉が勢いよく吹き上がるようにという意味のことばです。 イエス様の水を飲むものは、たとえ周りがどんな状態でも自分の内側から「ズバッ」とわき出る勢いのある喜びと、優しい潤いを持つことができるというのです。イエス様ご自身がその泉そのものです。イエス様を心に迎え入れる人は永遠のいのちへの水を湧き出させる泉そのものを持てるということです。 この水は、内から外へと湧き出します。この水を飲んだ者は、自分が幸せになり、喜ばしく生きるだけでなく、その喜びは必然的に周囲の人に及んでいきます。そのような祝福の源に替えられていくのです。「だれでも」です。この約束に当てはまらない人はいません。日々「その水を私に下さい。」と求めて生きて行きたいと思います。 祝福を祈ります。