今日の聖句3月5日(火)\(^o^)/ もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りを収められ、私たちは滅びないですむかもしれない。 ヨナ3:9 あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 マルコ11:24 ************** 今週のテーマ:ただ一つの目標 きょうの聖書:マタイ6:25-34 マタイの福音書6章31節32節33節 何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。 「神の国を求めて」 この25節から34節までの段落には、「心配」ということばが6回繰り返されています。新共同訳では「思い悩む」口語訳では「心配」文語訳は「思い煩い」となっています。この心配ということばは、「いろいろな部分に分裂する」という意味のギリシヤ語です。私たちには意外と心配事が多くあるのです。 食べ物や衣服に限らず、心が、あれもこれも、今日のことも明日のこともと、多方面にわたって千々に乱れることです。ユダヤのことばでも「撹乱する」「心配する」という意味を持っています。逆に、私たちは「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」という信仰に立つことが肝心です。 私は、クリスチャンの特徴は希望を持ち続けることができるということだと思っています。聖書を読み続けていると、不思議に「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」から大丈夫だという気持ちになれます。私たちが生きる上での様々な物資は神様がそろえてくださいます。私たちが求めるのは神の国と神の義です。 イエス様は積極的に信仰をもって「御国を求めなさい」と教えています。それは、神様の御支配を受けること、聖霊の力に満たされて生きること、救いの喜びに輝いて生きること、信仰と希望と愛に満たされて生きることを意味しています。今日も一日、雑事に悩まされることなく、神の国を求めることに集中して元気に過ごしていきましょう。 祝福を祈ります。