今日の聖句3月2日(土)\(^o^)/ 主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。 詩篇13:1 わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。 マタイ27:46 ************* 今週のテーマ:全身を献げる きょうの聖書:へブル13:12-16 へブル人への手紙13章12節13節14節 それでイエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。ですから私たちは、イエスの辱めを身に負い、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。 「いのちの道」 イエス様はルカ伝9章23節〜25節で「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の益があるでしょうか」と言われています。 私は、このみことばによって自分の善し悪しのすべてをイエス様にお委ねし、ただイエス様のためにだけ生きて行こうと決心しました。それは、イエス様が十字架を背負われたのと同じように、自分も十字架を背負って生きて行こうという決断でした。褒められなくてもいい、貶されてもいい、イエス様が褒められればそれでいいという気持ちです。 へブル書はイエス様の意を汲んで、「イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。ですから私たちは、イエスの辱めを身に負い、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか」と訴えています。宿営の外に出るとは、私たちにとっては罪の世界から離れるという意味になります。 罪を離れ、キリストに従う道の先に復活があり、天の御国が備えられています。自分の悪い欲望に振り回され、好き勝手に生きて人生を失うか、キリストに従って人生の勝利を獲得するか。迷わずいのちの道を選びます。この決断こそきよめです。イエス様は私たちをきよめるために十字架の道を選んでくださったのです。私たちもその道を行きます。 祝福を祈ります。