今日の聖句2月25日(日)\(^o^)/ 私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。 申命記6:6-7 助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。 ヨハネ14:26 ************* 今週のテーマ:全身を献げる きょうの聖書:創世記22:1-14 創世記22章2節3節 神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて行った。アブラハムは全焼のささげ物のための薪を割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ向かって行った。 「信仰と犠牲」 百歳になったアブラハムに後継ぎのイサクが生まれました。アブラハムの信仰は円熟し、家庭内に問題はなく、安定した生活が続いていたその時、神様からイサクを「全焼のささげ物として献げなさい」という御命令が下ったのです。アブラハムは一晩じっくり考えたと思いますが、翌朝にはためらわず、「神がお告げになった場所へ向かって行った」のです。 自分の子どもを犠牲にするという風習は中近東だけでなく全世界で行われていたことでした。私たちの人生でも神様の深い摂理により、とても受け止められないほどの試練を受けることがあります。アブラハムがイサクを献げる決心をしたのは、神様がイサクよみがえらせると信じたからだと新約聖書で解説されてています。 大きな試練は信仰が与えられないと乗り切れません。神様は試練を与える時、試練と共に信仰も与え、また、試練の出口も合わせて与えてくださるのです。イサクを献げるという試練は子どもを犠牲にすることを禁じることになり、神様の御子イエス様の犠牲を予告することになりました。 神様が求めたものはイサクの生命ではなく、アブラハムの心でした。アブラハムはこの時、イサクを献げられないという人情を捨て、神様への服従を示しました。献身とは必ずしも大事な物を捨てることではなく、意志において未練を切り捨てることなのです。神を信じる決断、キリストに従って生きていく決心、これを毎朝繰り返して私たちの信仰は磨かれていきます。 祝福を祈ります。