今日の聖句2月22日(木)\(^o^)/ 喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。 詩篇100:2 失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。 ガラテヤ6:9 ************* 今週のテーマ:宝を天に きょうの聖書:ルカ12:13-21 ルカの福音書12章16節〜20節 「ある金持ちの畑が豊作であった。彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。 そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』 「貪欲の戒め」 イエス様の話を聞きに来ていた群衆のうちの一人が、兄弟が遺産を独り占めにしているので、分け合うように助言してくださいと言った時のことです。貪欲は自己中心という罪の表れであり、貪欲は言葉を変えれば偶像礼拝なのです。イエス様は宝作になって新しく倉庫を建てなければならないほどになっても、その財産によって安らぐことはできないと教えました。 遺産を獲得し、豊作になり、富が増しても、それらの物質によって幸福になろうとしても、神様からの幸福によらなければ安らぐことはできないのです。真の幸福は神様から与えられるものだからです。人は神様に目を向けないという時点で幸せから遠のいているのです。 イエス様は「これらの石がパンになるように命じなさい」という誘惑を受けた時に、 「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」と宣言しています。わたしたちも、幸せに生きるためにパンは必要ですが、幸せの条件はパンだけではないことを知らなければならないのです。 遺産分けでイエス様に苦情を言った人は、物質以上のものに目が向いてないのです。それが兄弟げんかのもとであり、家庭にも波風が立ち、国際紛争も起こしているのです。貪欲=自己中心こそすべての悪と不幸の源なのです。キリストに目を向け、キリストに祈り、キリストから与えられれる平安で無心を満たされるようにしましょう。 祝福を祈ります。