今日の聖句2月15日(木)\(^o^)/ 民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難したりして、罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。 民数記21:7 私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。 2コリント5:20 ************* 今週のテーマ:真の断食 きょうの聖書:ゼカリヤ7:1-14 ゼカリヤ書7章7節8節9節 ゼカリヤに次のような主のことばがあった。万軍の主はこう言われる。「真実のさばきを行い、誠意とあわれみを互いに示せ。やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者を虐げるな。互いに対して、心の中で悪を企むな。」 「真実と誠意・愛と優しさ」 ゼカリヤはバビロン捕囚のおよそ60年後に活動した預言者です。同時期にはハガイがいました。それは、バビロンからの第一次帰還の直後で、エルサレム再建には着手していない時でした。つまりエルサレムに帰るには帰ったが城壁も神殿も破壊されたままのエルサレムなのです。 ユダヤの民は断食の季節が来ると、断食するにはしたのですが、そこには神様への信仰はありませんでした。断食したのだから祈りはかなえられるだろうとか、定め通りに断食した私は立派でしょう、などと言う気持ちでの断食だったのです。そもそも、断食は自分のためではなく、神様のためのものでなければならないのですが、ユダヤ人には神様のために生きるという気持ちが戻ってないのです。 それで神様は死かの断食とは「真実のさばきを行い、誠意とあわれみを互いに示せ。やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者を虐げるな。互いに対して、心の中で悪を企むな」ということであると教えなければなりませんでした。神様に対して真実と誠意・愛と優しさを示すことこそ真の断食なのです。 そこに礼拝があり、そこに信仰があるのです。礼拝、または信仰とは、キリストを意思を継ぎ、キリストを手本とし、キリストに見倣って生きることです。イエス・キリストが御父に対して示した対して真実と誠意・愛と優しさ、イエス様が私たちに与えてくださった「真実と誠意・愛と優しさ」を受け継ぐことです。それが受難節に必要なことなのです。 祝福を祈ります。