今日の聖句2月11日(日)\(^o^)/ わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。 ハガイ2:5 あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。 ヨハネ16:33 ************ 今週のテーマ:真の断食 きょうの聖書:イザヤ58:6-11 イザヤ書58章6節7節8節 わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。 「キリストへの信仰」 イザヤが活動していた時代には、ユダ王国の中には自分の信仰をひけらかすために断食をしていた人が多数在ったようです。確かに信仰がなければ断食はできないかも知れません。食べたいという気持ちに打ち勝つためには相当の力が必要です。かといって自分の信仰を他の人に自慢することは信仰とは真逆の行いです。 そもそも信仰とか、礼拝とかは自分をキリストに映していくことです。キリストを自分に映すとも言えます。キリストを見つめキリストに似ている人になろうとすることです。イエス様は断食をしましたが、自分の信仰をひけらかすことはしませんでした。イエス様は断食の中でサタンの誘惑を受け、サタンの誘惑に勝ったのです。 イザヤは真の断食とは神様のみこころを行うことこそ真の断食だといっています。神様の御心は愛であり、神様の御心は弱者の保護です。権力者は武力を行使して弱者を痛めつけますが、神様は愛によって弱者を守ります。私たちはしばしば権力者に追従して弱者を傷つけます。それは信仰に逆行することです。 ユダヤ教徒の形式的信仰と形式的断食は権力者におもねる行為なのです。私たちはキリストにしっかり目を向け、キリストを模範にして生きる姿勢を確立していかなければなりません。キリストに従って生きて行こうと決断することがきよめです。この決断は毎朝必要です。毎朝信仰の決断を更新して日々新にキリストを目標にすることです。キリストを見上げること、それが信仰です。 祝福を祈ります。