今日の聖句2月9日(金)\(^o^)/ エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。 イザヤ40:2 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。 ルカ24:47 ************* 今週のテーマ:僕のつとめ きょうの聖書:2テモテ2:22-25 テモテへの手紙第二2章22節〜25節 あなたは若いときの情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。愚かで無知な議論は、それが争いのもとであることを知っているのですから、避けなさい。主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍耐し、反対する人たちを柔和に教え導きなさい。 「神の僕の心得」 神の僕の心得が述べられています。神の僕は情欲に耽ることなく義と信仰と愛と平和を追い求めなさいと教えています。義は赦しであり、信仰は真実です。愛は優しさであり、平和はいのちを生み出す力です。キリストを信じて生きる人は常に義と信仰と愛と平和を追い求めて生きるのです。 愚かで無知な議論とは、神が実在するとかしないとか、地獄があるのかないのかというようなことを議論することです。神様が実在であることは神様ご自身が証明しているので議論の対象にはなりません。そのようなことを議論するところから争いが起こるのです。それがさサタンの策略です。エデンの園の蛇と同じです。 神の僕は争いません。イエス様も争うということは一切しませんでした。争いは欲望と欲望のぶつかり合いです。自分のなすべきこと、自分に与えられている神様からの使命が明らかであれば、争っている暇はないのです。人生は短いし、私たちに与えられているキリストの期待は大きいのです。 「すべての人に優しくし、よく教え、よく忍耐し、反対する人たちを柔和に教え導きなさい」とはキリストの復活を証しするクリスチャンにとってもっともなことです。優しはほほえみと共にあります。ほほえみは神様の愛に包まれている証しであり、ほほえみがキリストの復活とキリストの赦しの象徴なのです。優しさに満ちたほほえみが隣人にキリストの救いを証明するのです。 祝福を祈ります。