今日の聖句2月6日(火)\(^o^)/ あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる 出エジプト19:6 あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。 2テモテ4:8 ************* 今週のテーマ:僕のつとめ きょうの聖書:マタイ24:45-51 マタイの福音書24章48節〜51節 しかし彼が悪いしもべで、『主人の帰りは遅くなる』と心の中で思い、仲間のしもべたちをたたき始め、酒飲みたちと食べたり飲んだりしているなら、そのしもべの主人は、予期していない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ報いを与えます。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。 「まだ帰るまい」 キリストの再臨はまだまだ先のことだと考える、これが目を覚ましていない、つまり眠りこけている人、即ち悪い僕の姿です。第一には、「仲間を打ちたたく」という高慢で、第二には「酒飲みたちと飲んだり食べたり」という世俗化です。イエス様は「彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ報いを与えます」と警告しています。 主の僕という身分にありながら、このしもべは何故このように堕落し、遂に偽善者、学者パリサイ人たちと同じ厳罰を受けることになったのでしょう。その根本原因は「主人はまだまだ帰るまい。と心の中で思」った、心の油断であり、眠りこけ、カスになった信仰でした。 このしもべが考えた『主人はまだまだ帰るまい』ということは帰るまでにはまだまだ時間があるということではなく「主人が帰ってくるというのは嘘だ」という判断です。この不信仰がこのしもべを【主のしもべ】という謙遜から高慢へ誘い、主人のものを預かっているという慎みから、無軌道な乱痴気騒ぎへと転落させたのです。 キリストの再臨と終末は「遅い、或いは無い」という考えほどクリスチャンを高ぶらせ、世俗化させるパン種はありません。今、この瞬間に「御再臨!」となった場合を想像して、「マズイ」と思うようでは眠気がきているのかも知れませんね。【主のしもべ】という名誉ある立場を輝かせる生活をしましょう。 祝福を祈ります。