今日の聖句1月31日(水)\(^o^)/ 確かに、私たちの神、主にイスラエルの救いがあります。 エレミヤ3:23 マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。」 ルカ1:16-47 ************** 今週のテーマ:従順を学ぶ きょうの聖書:ピリピ2:12-18 ピリピ人への手紙2章12節13節14節 こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。 「」 従順とは神であるキリストを満足させることです。不従順な人は自分の満足だけを求めます。キリストを知らない人が従順である場合は家族や隣人の満足を求めます。いづれにしても自分の満足は求めません。不従順と自己中心と偶像礼拝はは同じなのです。 従順とは神であるキリストへの従順です。イエス様が徹底して御父に服従して私たちに従順の模範を示してくださったことを思い出します。恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさいと言われていますが、これは、神様に対して遜り、神様を崇敬する気持ちを堅く維持して救われなさいという意味です。 キリストに対して遜らない人がキリストに対して従順になることはあり得ないのです。そもそも私たちが過去の自分の罪を悔い改めてキリストによる赦しを受けることができたのは、キリストを神であり絶対者であると信じたからです。もしそれがなければ私たちはクリスチャンになっていません。 従順を学べと教えられているのですが、それは、自分の自己中心性を点検しなさいという意味があるのです。人は生まれつき自己中心です。最も自己中心なのは生まれたばかりの新生児である赤ちゃんです。そして、老年にになると再び自己中心になってきます。初めて自己中心を罪だと知って悔い改めたように、長い信仰生活に慣れた私たち老人は従順であることを意識する必要があるのです。 祝福を祈ります。