今日の聖句1月29日(月)\(^o^)/ こうして、ついに地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るに至りますように。 1列王 8:60 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。 マタイ28:19-20 ************* 今週のテーマ:従順を学ぶ きょうの聖書:へブル5:7-10 へブル人への手紙5章7節〜10節 キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、メルキゼデクの例に倣い、神によって大祭司と呼ばれました。 「大祭司」 「大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ」たのは受難週の木曜日の夜のことです。最後の晩餐を終え、ゲッセマネの園で血の滴るような祈りをされたことがマタイ伝26章に記録されています。この祈りでイエス様はサタンに完全勝利してオリーブ山へ上り、ユダヤ当局に捕らえられ、翌朝は十字架につけられたのです。 「その敬虔のゆえに聞き入れられました」とは、イエス様の信仰が神様の要求水準にに達したので、イエス様の祈りが叶えられ、サタンに勝利し、イエス様の十字架による贖いが全世界を救えるようになったということです。それはイエス様が完全無罪である神の子として使命を全うしたとうことです。 メルキゼデクとは、モーセが律法によってイスラエルを指導する前、アブラハムが神様に選ばれた時、アブラハムを祝福した祭司でした。メルキゼデクはモーセが生まれる前の人であり、モーセの律法に関わらない祭司でした。イエス様はモーセの兄であるアロンの血筋の祭司ではなく、メルキゼデクの例に倣う大祭司となったのです。 それは私たちユダヤ教の律法に依らずに救いを受ける異邦人のためでした。イエス様は、「お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全な者とされ」たので弱い立場の人に同情できるのです。自分の身体で苦しみを経験しないなら私たちも他の人に同情することはできません。イエス様は律法によってではなく、愛によって私たちを救うキリストなのです。 祝福を祈ります。