今日の聖句1月23日(火)\(^o^)/ 主よ。あなたの御名のゆえに私の咎をお赦しください。それは大きいのです。 詩篇25:11 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。 マルコ2:5 ************* 今週のテーマ:朝ごとに新しく きょうの聖書:詩篇143:7-12 詩篇143篇8節9節10節 朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。行くべき道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますから。主よ私を敵から救い出してください。私はあなたのうちに身を隠します。あなたのみこころを行うことを教えてください。あなたは私の神であられますから。あなたのいつくしみ深い霊が平らな地に私を導いてくださいますように。 「憐れみによる赦し」 この143篇はダビデがアブサロムに謀反をおこされ、エルサレムからヨルダンの東まで避難した時のことを回想して作られた詩です。ダビデはこの患難の中で自分の罪を認め、神様の憐れみがなければ到底生き延びることはできないことを知らされました。 アブサロムが謀反を起こす前、ダビデはアブサロムの罪を咎め続けて和解をしませんでした。エルサレムに居場所を失ったアブサロムはダビデに反感を抱いている人たちと共謀してヘブロンで謀反を起こしました。この謀反事件はダビデにも原因があったのです。 ダビデは自分の正義や自分の善行を申し立てても神様の御前に立てません。ダビデは神様の真実と神様の憐れみにすがって救いを祈り求めたのです。神様は1歴代 17:8 に記されている「あなたがどこに行っても、あなたとともにいて、あなたの前であなたのすべての敵を絶ち滅ぼした。わたしは地の大いなる者たちの名に等しい名を、あなたに与えてきた」という約束によってダビデを救いました。 私たちの信仰は毎朝、イエス様の十字架に立ちかえることによって新しくされます。また、夫々、与えられている救いの確信につながったみことばに立ちかえることによって新鮮な恵みを頂きます。私の場合はヨハネ3:16と1ペテロ2:24の「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた」です。 祝福を祈ります。