今日の聖句1月13日(土)\(^o^)/ ご覧ください。あなたは私の日数を手幅ほどにされました。あなたの御前では私の一生はないも同然です。人はみなしっかり立ってはいても実に空しいかぎりです。詩篇39:5 ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 2コリント4:16 ************* 今週のテーマ:世の光 きょうの聖書:ヨハネ11:1-16 ヨハネの福音書11章14節15節16節 イエスは弟子たちに、今度ははっきりと言われた。「ラザロは死にました。あなたがたのため、あなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」そこで、デドモと呼ばれるトマスが仲間の弟子たちに言った。「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか。」 「ラザロの死」 マルタとマリヤの兄弟、ラザロが病気になりました。その知らせを聞いたイエス様は、すぐにラザロの所には行かず、二日経ってからエルサレムに近いオリーブ山のふもとにあるラザロの家に向かいます。ラザロが死ぬのを待って出かけたのです。 ラザロが死んで、そのラザロを生きかえらせると、イエス様には死者を生かす力があることが証明されます。それで、キリストを信じられない人も信じるようになるということもありますが、ユダヤ当局に命を狙われているのでエルサレムに行くと殺される危険が大きいのです。 イエス様はそれをご承知の上でラザロの所へ行こうとしています。ご自分から進んで十字架に向かっていることがよく分かります。ラザロを生きかえらせると、いよいよユダヤ教側のイエス様を殺そうとする勢いが強くなります。イエス様の栄光は十字架によって現わされ、イエス様は復活によって輝きを現わします。 「あなたがたが信じるために」というのは、聖書とイエス様の主目的である、キリストの十字架の死と復活によって人の罪が赦され、たましいに救いを受けることができるということを信じるためです。ラザロの死はその目的のために用いられたのです。イエス様は私たちの生も、私たちの死も用いてくださいます。 祝福を祈ります。