今日の聖句12月27日(水)\(^o^)/ わたしは初めであり、わたしは終わりである。 イザヤ44:6 ですから、あなたがたはこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。 マタイ6:9 ************* 今週のテーマ:クリスマス きょうの聖書:マタイ2:19-23 マタイの福音書2章20節22節23節 ヨセフは立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。しかし、アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くのを恐れた。さらに、夢で警告を受けたので、ガリラヤ地方に退いた。そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった。 「蔑称」 ヘロデが死ぬと、御使いが夢で、エジプトにいるヨセフに現れて、「立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちを狙っていた者たちは死にましたと告げました」。ヨセフは一家を連れてイスラエルに帰ってきましたがユダヤ地方は暴虐で有名なアケラオの領土になっていたので、ヨセフとマリヤの故郷であるナザレに住むことになりました。 ナザレはイスラエル北部ガリラヤにある町で、当時はエルサレムのユダヤ人たちよりも近隣の異邦人との交わりの方が濃かったようです。それで、エルサレムに住む人からは「田舎者の売国奴」のように思われていたようです。しかし、それは「エルサレムと諸外国を取り持つ土地がら」ともなり得るわけで世界を救うイエス・キリストの出身地として神様が備!えてくださった場所なのだとも考えられます。 それはそうとして、「ナザレ人」は明らかな蔑称です。昔の日本にも様々な蔑称で呼ばれる人たちが大勢いました。出身地や職業、患っている病気や身体の状態などで呼ばれて、屈辱を味わっていた人たちです。そういう人たちの心にも同情できるお方としてキリストは育っていきました。 イエス様の生涯は、いのちを狙われ、蔑まれ、迫害され、逃げ回ることの連続でした。ダビデの人生によく似ています。栄光の国王ダビデの子孫でもありますが、みじめな国王ダビデの子孫である受難のメシヤでもありました。私たちの人生も一難去ってまた一難というものですが、イエス様は私たちの苦しみに目を向け、同情し苦難から救い出してくださる救い主です。 祝福を祈ります。