今日の聖句12月22日(金)\(^o^)/

あなたがたが主の御声に聞き従わず、主の命令に逆らうなら、主の手が、あなたがたとあなたがたの先祖の上に下る。
1サムエル12:15

自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。
ヤコブ1:25

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今週のテーマ:神のしるし
きょうの聖書:コロサイ1:9-20

コロサイ人への手紙1章14節~17節

この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。

「創造主」

この13節から23節の行に、パウロによる「キリスト論」が書かれています。イエスキリストこそ、主であり、救い主、神のすがた、創造主、保持者、教会のかしら、復活の主、和解させる方等々、さまざまな側面が書き表されています。キリストを見れば神様がどのようなお方であるかが分かるのです。

キリストがどのような御方であるのかを知ることができた時、私達の心には大きな喜びがもたらされます。それが礼拝であり、恵まれたということなのです。逆にキリストがどういう御方であるか分からなくなった時、私達は生き甲斐さえ失います。キリストを知るために聖書を読んで祈ることが大事です。

上に掲げた四節の中には特に造り主としてのキリストの姿が謳われています。私達一人一人の存在の根元的理由もこの中にこめられているように思われます。キリストを知ることと自分が何者であるのかを知ることは意義深い事です。確かに私たちは御子キリストによって造られたのです。

私たちにとって、キリストはどういう存在なのか、教会にとってキリストはどういう存在なのか、ここに書かれている内容がどういう意味なのかを考え、思い巡らすアドベントの季節です。御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。キリストの居ない人生は考えられません。

祝福を祈ります。