今日の聖句12月17日(日)\(^o^)/ 神は人ではないから、偽りを言うことがない。人の子ではないから、悔いることがない。 民数記23:19 神の真実にかけて言いますが、あなたがたに対する私たちのことばは、「はい」であると同時に「いいえ」である、というようなものではありません。 2コリント1:18 ************* 今週のテーマ:神のしるし きょうの聖書:マタイ1:18-25 マタイの福音書1章21節22節23節 「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。 「イエス様のお名前」 ここに、イエス様のお名前に関するふたつの説明があります。ひとつは「イエス」もうひとつは「インマヌエル」です。どちらも親があれこれ考えてつけた名前ではなく、神様がマリアから生まれる赤ちゃんのために用意した名前です。聖書では名前はとても重要な意味を持っています。特に旧約聖書では、それはその名前がその人の生き方や使命を表していることが多いのです。 イザヤは「神は救い」エゼキエルは「神が強くする」エレミヤは「ヤハウエが確立する。ヤハウェが任命する」エリシャは「神は私の救い」などなど。そしてイエス(ヨシュア)は「神は救い」「神は救ってくださる」という意味があります。つまり、それは名付け親の神様がこのイエス様に託した名前であり使命でもありました。 そして、もう一つの名は「インマヌエル」です。これは「神は私たちと共におられる」という意味ですが、イエス様を信頼してあゆむとき、神様が共にいてくださるということがわかるのです。「この方こそ永遠の同伴者」なのです。最近、伴走型支援という言葉はずいぶん一般的に使われるようになってきました。解決型支援と伴走型支援という分け方がなされているようです。 イエス様は「神様が解決の道を示してくださる」ということを明らかにしたばかりでなく、「神様があなたの永遠的な伴走者として共に歩んでくださる」ということを身をもってお示しになりました。マタイの福音書はこうして「インマヌエル」で始まり、その最後は28章20ですが「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」と締めくくられています。勇気がわいてきますね。 祝福を祈ります。