今日の聖句11月23日(木)\(^o^)/ 神よ。あなたは私の愚かしさをご存じです。私の数々の罪過は、あなたに隠されてはいません。 詩篇69:5 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。 エペソ1:7 ************ 今週のテーマ:神の裁き きょうの聖書:ルカ13:22-30 ルカの福音書13章23節24節25節 「主よ。救われる者は少ないのですか」と言う人があった。イエスは、人々に言われた。「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。 「祈る努力」 多くの人が、誰が救われるのか?という気持ちを持っています。逆に、救われない人は誰なのか?という気持ちもあります。そして、私はどうすれば救われるのですかという質問をしたくなります。それでイエス様はそれらの問いに「努力して狭い門から入りなさい」と語られたのです。 この「狭い門」という言葉はマタイ7:13とルカ13:24の二カ所にだけ出てくる言葉です。「狭い門から入る」の直接的意味は、自分の罪を認め、イエス・キリストの十字架による罪の赦しを受けるということです。広い門から入るとは、自分の罪に無関心で、他人の罪を数えたてる生き方を指しています。そういう人が多いのです。 イエス様は狭い門から入ろうとしても入れなくなるときが来ると言われました。それは悔い改めの機会を失うということです。悔い改めることができる今こそ罪を告白し、キリストによる赦しを受けなければならないのです。キリストに知られている人とは、キリストの十字架の恵みを受けた人です。キリストによる赦しを受けた人が救われた人なのです。 「あなたがたがどこの者か、私は知らない」と言われる人は、その人とイエス様の十字架の間に接点がない人です。私たちが聖である神様に連なるためにはイエス様の十字架に頼らなければなりません。イエス様の十字架と自分の間の接点を確実なものにするためには努力が必要です。狭い門から入る努力です。それは祈る努力であり、キリストに聞く努力です。 祝福を祈ります。