今日の聖句11月22日(水)\(^o^)/ 人はどのようにして、神の前に正しくあり得るのか。たとえ、神と言い争いたいと思っても、千に一つも答えられないだろう。 ヨブ9:2-3 立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。 ルカ 15:18 ************* 今週のテーマ:神の裁き きょうの聖書:マタイ12:33-37 マタイの福音書12章35節36節37節 良い人は良い倉から良い物を取り出し、悪い者は悪い倉から悪い物を取り出します。わたしはあなたがたに言います。人は、口にするあらゆる無益なことばについて、さばきの日に申し開きをしなければなりません。あなたは自分のことばによって義とされ、また、自分のことばによって不義に定められるのです。 「美しい言葉」 良い木と良い実の譬えが語られました。良い木は良い実を実らせ、悪い木は悪い実を実らせます。その木が良い木であるか、悪い木であるかは実を見ればわかるのだと言われました。そして次に良い人は良い倉から良いものを出し、悪い人は悪い倉から悪いものを出すのだと続きました。 木と倉は泉で、実と物は泉から流れ出る流れです。そして、実や物は言葉のことです。良い言葉使いをする人がいますし、悪い言葉使いをする人がいます。マタイ12:24でパリサイ人たちがイエス様に向かって「この人が悪霊どもを追い出しているのは、ただ悪霊どものかしらベルゼブルによることだ」という悪口を言いました。 イエス様はそれに対する批判のことばとして良い木と悪い木、良い倉と悪い倉の話をしたのです。愛に富んだ人の口からは、他の人を傷つける言葉は出ません。敵意に満ちた人の口からは悪口雑言がでます。口喧嘩や言い争いでは警察に捕まることは無いかもしれません。しかし、神様の前では殺人にも匹敵する罪なのです。 私たちは私たちが語る言葉によって自分が善人であるか、あるいは、悪人であるかを世間に示すことになります。そして、悪い言葉使いをする人は重罪犯と同様の裁きを受けることになります。私たちの使う言葉は、私たちの心という泉から湧いてきます。心をきよめ、きよい水のような清く美しい言葉を語れるようになりたいと思います。 祝福を祈ります。