今日の聖句11月15日(水)\(^o^)/ ああ、渇いている者はみな、水を求めて出て来るがよい。 イザヤ55:1 夕方になり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた人をみな、イエスのもとに連れて来た。 マルコ1:32 ************* 今週のテーマ:収穫の喜び きょうの聖書:ルカ12:13-21 ある金持ちの畑が豊作であった。彼は心の中で考えた。どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。そして言った。こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』 「愛による共有」 これはイエス様が「貪欲であってはならない」ということを教えられたたとえ話です。貪欲は富から幸福を得ようとして神様にも隣人にも配慮しない自己中心の表れです。貪欲と偶像礼拝は同じことです。真の幸福は神様から与えられるものなのです。 この金持ちは賭博や不正な取引などの手段で大儲けをしたのではなく、まじめに働いた結果の豊作でした。ところが、第一に、この豊作を神様の恵みとは受け止めず、感謝の気持ちを持たず、自分一人の利益にしたのです。次に、富さえ豊かなら魂まで安泰であると考えてしまいました。 第三に、「休め。食べて、飲んで、楽しめ」と享楽の中に幸福があると思ったことが問題でした。第四に、現生のことだけを考えて来世のことを少しも考えない愚か者でした。私たちは、まず神の国を求め、いつ天に召されても良いように宝はイエス様のために善用し、未来に供える必要があります。 イエス様はマタイ6:20で「天に宝を蓄えなさい」と命じています。宝作は個人への恵みであるとともに人類をはじめすべての生き物への神様の祝福なのです。独占が問題視されています。私たちはイエス様から「キリストの愛の共有」の道を教えられました。 祝福を祈ります。