今日の聖句11月9日(木)\(^o^)/ 私はうろたえて言いました。「私はあなたの目の前から断たれたのだ」と。しかし私の願いの声をあなたは聞かれました。私があなたに叫び求めたときに。 詩篇31:22 同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。 ローマ8:26 ************* 今週のテーマ:助け合い きょうの聖書:ガラテヤ6:1-10 ガラテヤ人への手紙6章1節2節 兄弟たち。もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。 「一緒に居る」 クリスチャンが陥る過ちにはいくつかの種類があります。一つは、キリストを信じられなくなってしまうこと、二つ目は、具体的に罪を犯してしまうこと、三つめは、自分の信仰は完成したと思い込むことです。私たちは誰かに励ましてもらわないと立っていけません。 また、私たちの周囲には私たちの助けや励ましを求めていてる人がいます。信仰を失い、あるいは罪を犯して孤立している人がいるならば、私たちは進んで支援の手を述べなければなりません。優しく、明るい笑顔で接し、祈りをもってキリストへの信仰に復帰させてあげることです。 場合によっては償いの手助けも必要になります。弁償をする道に導き、悔い改めの道に導くことです。その際、躓いた人の苦しみを自分も共有することが必要です。問題を共有し、問題解決の過程を共有し、問題解決の喜びを共有します。二・三人の人が同じ思いで祈る祈りはイエス様が叶えてくださいます。 過ちに陥る人は、自分は大丈夫だ、という変な自信を抱いている場合があります。お祈りなんかしなくて大丈夫だ、礼拝も休んでも大丈夫だと思うようなときは、信頼できる人に相談した方がいいのです。独断で道を踏み外すと、相談の機会を失います。クリスチャンはクリスチャン同士で一緒に居ることが大事です。 祝福を祈ります。