今日の聖句10月31日(火)\(^o^)/ 私たちはみな、汚れた者のようになり、その義はみな、不潔な衣のようです。 イザヤ64:6 息子は父に言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。 ルカ15:21-22 ************* 今週のテーマ:キリスト者の自由 きょうの聖書:ガラテヤ5:13-15 ガラテヤ人への手紙5章13節14節15節 兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。律法全体は、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という一つのことばで全うされるのです。気をつけなさい。互いに、かみつき合ったり、食い合ったりしているなら、互いの間で滅ぼされてしまいます。 「信仰の自由」 私たちがキリストから自由を与えられたのは、キリストを信じる自由であり、キリストを礼拝する自由です。そしてそれは、キリストを愛し、隣人を愛す自由です。キリストは私たちに自由を与えるためにご自分のいのちを犠牲にされているということを忘れてはなりません。 自由には責任が伴うと言われます。自由行動の結果には自由に行動した人に責任があります。良い結果が出ても悪い結果になっても責任は本人が取らなければなりません。隣人に迷惑が及んだ場合は償いをしなければなならないということです。この点の理解がないと自由は放縦になり、好き勝手な生き方になってしまいます。 好き勝手な生き方の結果が、「互いに、かみつき合ったり、食い合ったり」になるのです。自分の都合と自分の利益を優先して要求するからです。聖書は、自分の都合と自分の利益を優先する生き方を偶像礼拝と呼んでいます。偶像礼拝で滅亡したのがイスラエル国とユダ国です。好き勝手な生き方は国まで滅ぼしてしまうのです。 律法全体は、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という一つのことばで全うされるのです。神を愛し隣人を愛せ、の一言に尽きます。イエス・キリストの人生はそういう人生でした。キリストとしての完全自由の中で御父を愛し、私たちへの愛を実行してくださったのです。キリストに従いましょう。 祝福を祈ります。