今日の聖句10月20日(金)\(^o^)/ 主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた。 出エジプト33:11 わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。 ヨハネ15:15 ************* 今週のテーマ:献げる きょうの聖書:ヨハネ12:23-26 ヨハネの福音書12章24節25節26節 まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。 「一粒の麦」 一粒の麦とはイエス様のことです。豊かな実とはイエス様に従って一粒の麦となるクリスチャンのことです。イエス様が死ぬことによってイエス様を手本として生きるクリスチャンが生まれる。それによってイエス様は栄光を受けるということです。ついにイエス様が栄光を受けるときが来ました。 自分のいのちを愛するとは、自分の保身を優先にすることです。悪く言われたくない、安楽に生きていたい、犠牲はになるのは嫌だ。そういう気持ちで生きていることが、自分のいのちを愛するということです。その結果は無意味な人生になってしまうのです。 この世でそのいのちを憎む者とは、隣人の幸福のために支援し続けていく生き方をする人です。それがイエス様に仕えて生きていくということで、犠牲を厭わずに生きる生き方です。イエス様が死ぬことによって、犠牲を厭わずに生きるクリスチャンが続出してくる、そのようにして御父は御子に栄光を与えるのです。 私たちは自分の幸福を求めて、自分の幸福を失う者でなく、イエス様を愛して、イエス様に仕え、自分の幸福よりも、他人の幸福を求めて生き、相手の幸福が自分の幸福、相手の成功が自分の成功というように、幸福を共有する生き方に目を向けさせていただきたいものです。イエス様がご自分のいのちを捨てて私たちを幸福にしてくださったかのですから。 祝福を祈ります。