今日の聖句10月18日(水)\(^o^)/ 私は知っています。主が苦しむ者の訴えを支持し貧しい者のためにさばきを行われることを。 詩篇140:12 貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。 ルカ6:20 ************* 今週のテーマ:献げる きょうの聖書:創世記22:1-8 創世記22章2節3節 神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて行った。アブラハムは全焼のささげ物のための薪を割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ向かって行った。 「心が求められている」 アブラハムは今で言うイスラエルの南部ヘブロンに住んでいました。信仰は円熟し生活は祝福されていました。モリヤはエルサレムです。アブラハムがイサクを献げようとした場所にはエルサレム神殿が建ち、今はイスラム教の黄金のドームが建っています。神様はアブラハムにイサクを人身御供にせよと命じました。 人身御供は古代の世界各地で行われていた忌まわしいことであり、神様はアブラハムにイサクを献げよと命じたことにより人身御供が大罪であることを明らかにしました。また、大切な跡継ぎを神様に献げるということは、神様が御一人子イエス様を人間の罪の贖いのために犠牲にすることを予表するものでもありました。 神様がイサクを求めたのは、実質的にはアブラハムの心を求めたということです。神様が求めているのは私たち人間の心なのです。献げ物にしても神様はものを必要としているのではなく人の心を求めているのです。断捨離という言葉がはやりましたが、捨てなければならないのは悪い欲望と悪い心です。 神様はアブラハムにイサクを献げよと命じましたが、実は、アブラハムの神様への服従心が試されたのです。神様の基本方針は愛です。神様の愛にどこまで従がうのかそれが試され、アブラハムはイサクを献げる決断をするところまで神様に従う姿勢を取りました。それを見届けた神様はイサクの代わりに羊を用いました。私たちの身代わりの子羊はイエス様でした。 祝福を祈ります。