今日の聖句10月17日(火)\(^o^)/ 主があなたのために御使いたちに命じてあなたのすべての道であなたを守られるからだ。 詩篇91:11 彼らが帰って行くと、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」 マタイ2:13 ************* 今週のテーマ:献げる きょうの聖書:レビ27:30-33 レビ記27章27章30節31節32節 土地から取れる収穫量の十分の一は、穀物であれ、果実であれ、主のものである。それは聖なるもので主に属す。もし、十分の一の一部を買い戻したいときは、それに五分の一を加えて支払わなければならない。牛や羊の群れの十分の一については、牧者の杖の下をくぐる十頭目のものはすべて、聖なるもので主に属する。 「十分の一の献げ物」 これは、十分の一の献げものについての教えです。当時の産物は農産物でした。穀物と果実、動物と畜産物のすべての収穫物の十分の一は造り主である神様の所有物なので、神様にお返しするということが求められています。創造者を神様として礼拝し、創造者の愛によって生かされているのですから当然のことです。 この他に、各家庭に生まれる初子(ういご)は神様の子として神様に献げることが求められていますし、家畜の初子も神様に献げられるものです。この献げるという行いは「きよめ」に当たります。献げられた物は神様のものになり神様のものは聖別された聖いものだからです。 私たちのたましいのきよめの原型がここにあります。ローマ書12章1節で「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です」と述べられています。信仰と礼拝の根本が自分自身を神様に献げるということなのです。 日々の信仰生活の中で現実に自分の給料の十分の一を献げている人がいます。その人たちは神様から多大な祝福を受けています。それは、神様を軸とし、神様を中心にして生活するからです。人間中心の結果が争いになり、戦争に通じていくのです。私たちが洗礼を受けてクリスチャンになったのは神様中心に生きるという決断だったことを思い出さなければなりません。 祝福を祈ります。