今日の聖句10月16日(月)\(^o^)/ 私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず私たちの咎にしたがって私たちに報いをされることもない。 詩篇103:10 互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。 エペソ4:32 ************* 今週のテーマ:献げる きょうの聖書:詩篇51:16-19 詩篇51篇16節17節19節 まことに私が供えてもあなたはいけにえを喜ばれず全焼のささげ物を望まれません。神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。どうかご恩寵によりシオンにいつくしみを施しエルサレムの城壁を築き直してください。 「砕かれた霊」 詩篇51篇には「ダビデの賛歌。ダビデがバテ・シェバと通じた後、預言者ナタンが彼のもとに来たときに」という表題がついています。イスラエル軍が隣国と戦っていた時にダビデはウリヤの妻と姦淫し、その上、夫のウリヤをはかりごとによって殺害し、バテ・シェバを奪うという大罪を犯した後、預言者ナタンに罪を指摘されたことによる悔い改めの祈りです。 上掲の16節から18節は、国王である自分の罪が国に対して災いとなりませんようにという祈りです。牛を身代わりに殺したくらいでは自分の罪が赦されないことは当然だとし、自分の心が粉砕され、その粉砕された心を捧げることこそ神様への献げ物でなければならないと祈っています。 自分の罪のためにエルサレムへの神様の慈しみが遮断されませんようにと祈り、城壁を築き直してくださいと言って、新たにエルサレムに対して保護の御手を述べてくださいと祈っています。神様の大きな憐れみに支えられて、大罪を犯したダビデでしたが、神様との交わりはかろうじて保たれました。 私たち罪深い人間が神様に献げるべきは「神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。」であることを教えられます。難行苦行も大金を献げることも罪の赦しには無関係です。神様の御子イエス・キリストの十字架こそが最大の献げものとされています。頑固にならないで神様の愛とキリストの恵みを受け取ることこそ大事なことなのです。それが砕かれた霊です。 祝福を祈ります。