今日の聖句10月14日(土)\(^o^)/ どうか、私を保証してくれる人をあなたのそばに置いてください。ほかにだれか誓ってくれる人がいるでしょうか。 ヨブ17:3 だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。 ローマ8:34 ************* 今週のテーマ:ひたむきに きょうの聖書:へブル9:12-15 へブル人への手紙9章13節14節15節 「今日」と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。私たちはキリストにあずかる者となっているのです。もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、です。「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。神に逆らったときのように」と言われているとおりです。 「今日」 へブル人への手紙は著者も執筆場所も不明です。あて先はクリスチャンになったユダヤ人でその人たちは当初は誘惑や迫害に立ち向かっていたものの、この書簡が書かれたころにはキリストへの信仰を止めて元のユダヤ教に戻ろうとする人たちが多くなりつつあったのです。 へブル人への手紙は、このような状況の中に在る読者にキリストの救いはユダヤ教の祭儀よりはるかに優れていることを教えて励まし、信仰を勧めています。キリストへの信仰の最大のポイントは罪の赦しです。それは、動物を犠牲にして得られるものではなく、神様の御子イエス・キリストの十字架に頼る以外には与えられるものではありません。 「今日」とは、御霊の働きが活発である今現在という意味で、誰もがイエス・キリストの救いを与えられる時期を指しています。今悔い改めれば誰もが赦されて神様との和解を頂けるのです。それは、キリストへの信仰に復帰する絶好の機会です。「もう、絶対にキリストは信じない」などと言ってはいけないと導いているのです。 始めに神様が私たちを愛してくださいました。はじめは私たちには神様に献げる愛はありませんでした。神様に敵対している私たちのためにキリストはご自分のいのちを犠牲にして、神の愛を私たちに示してくださいました。それならばもう一度初めに戻って、神様の愛の世界に戻りなさいと招いているのです。私たちは日ごと朝毎に神様の愛に立ち帰って信仰生活に励んでいるのです。 祝福を祈ります。