今日の聖句10月2日(月)\(^o^)/ 主がその民の傷を包み、その打たれた傷を癒やされる日に、月の光は太陽の光のようになり、太陽の光は七倍になって、七日分の光のようになる。 イザ 30:26 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。 1ペテロ2:24 ************* 今週のテーマ:賛美 きょうの聖書:ローマ8:33-36 ローマ人への手紙8章33節34節35節 だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 「勝利の喜び」 今から1965年くらい前、そして3世紀までの使徒や教父が活動していた時代のキリスト教会は、苦難、苦悩、迫害、飢、裸、危険の中に在りました。今でもそうですが、イエス・キリストの十字架による救いはそれらのものをはねのける力と勢いがあるのです。きょうの聖書はキリストのによる勝利の叫びであり、キリストの勝利への賛美です。 「選び」という言葉は、私たちがキリストの力を身にまとえたということは、自分から出たことではなくキリストによるという意味です。私たちが勝利者になれたのはキリストの恵みの賜物だという意味です。勝利者はキリストであり、キリストに属する私たちも勝利者になれました。80億人いる人間の中で私たちが勝利者になれたのは、キリストに選ばれたから、という他に説明のしようがないのです。 私たちは罪びとでした。しかし、キリストは私たちを義人であると認めてくださいました。罪びとは世間から打ち叩かれます。イエス様は私たちの罪を一身に背負って十字架で死に、私たちの罪を完全に清算してくださいました。更に今なお私たちの罪を糾弾する者に対して弁護していてくださるのです。キリストは永遠に私たちの味方です。 これを喜び、これを讃えるのが賛美です。私たちのキリストへの賛美は絶えることがありません。水源に水が湧きだしてくるように私たちの心には賛美が湧きだしてきます。嬉しくてたまりません。キリストの愛が無限だからです。そしてそのキリストの愛を私たちから奪い取る者はこの世にはないのです。私たちは圧倒的な勝利者です。 祝福を祈ります。