今日の聖句9月24日(日)\(^o^)/ あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは主である。 レビ19:18 旅をしていた一人のサマリア人は、その人のところに来ると、見てかわいそうに思った。そして近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した。 ルカ10:33-34 ************* 今週のテーマ:仲間 きょうの聖書:マタイ18:21-35 マタイの福音書18章21節22節 ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」イエスは言われた。「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。 「キーワードは赦し」 当時、ユダヤ教の教師達は、罪を犯した兄弟を三度まで赦せと教えていました。ペテロはその2倍以上の「七度」で良いでしょうか。と尋ねたわけです。七度とは、「完全に」「どこまでも」という意味です。しかし、ペテロは誤解して、七回までで良いでしょうかと訊いたのです。 そもそも、「七度までですか」と問う腹の底には、その回数までは赦すがその限度を超えたら後は腹を立てても良かろう、という気持ちが潜んでいます。そこでイエス様はまだかまだかと指折り数えて待ち構える態度を捨てさせるために「七度を七十倍するまで」と数え切れない490回先までだと言い、数えることをやめなさいと教えられました。 主の祈りに「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました」とあります。神様からの赦しを得るためには私たちが人を赦すことが絶対条件になっているのです。「赦さない」という気持ちを持っているだけで、人間は病気になるとさえ言われています。 私たちは、他の人を赦すことによって神様から赦されます。神様はイエス様の十字架と復活によって私たちを完全に赦していてくださいますが、私たちの「赦さない」という罪は私たちを地獄のどん底に突き落とします。キーワードは「赦し」です。「赦さない」ことこそ悔い改めなければならない重要項目です。 祝福を祈ります。