今日の聖句9月23日(土)\(^o^)/ 恐れるな。あなたは恥を見ないから。恥じるな。 イザヤ54:4 兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばしているのです。 ピリピ3:13 ************* 今週のテーマ:老いの冠 きょうの聖書:ヨブ42:1-17 ヨブ記42章10節11節 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにされた。さらに主はヨブの財産をすべて、二倍にされた。こうして彼のすべての兄弟、すべての姉妹、それに以前のすべての知人は、彼のところに来て、彼の家で一緒に食事をした。そして彼に同情し、主が彼の上にもたらされたすべてのわざわいについて、彼を慰めた。彼らはそれぞれ一ケシタと金の輪一つずつを彼に与えた。 「和解と関係回復」 聖書の中心テーマの一つは和解です。そして、このヨブ記のエピローグも和解で締めくくられています。多くの人が試練や苦難は罪びとが背負わされるものと考えます。ヨブの友人たちもヨブが罪を犯したから、神様はヨブに重い試練を与えたのだから、悔い改めて神様に赦しを乞えと言いました。 しかし、ヨブにとっては身に覚えのないことなので、自分は潔白だと言い続けました。その中で、ヨブは自分と神様を引き比べ、自分の義さと神様の義さを比較した時に、神様の義の前では自分の義などは全く無価値だと気付きました。ヨブは後悔し、神様に対して自分の傲慢不遜を悔い改めました。 神様はヨブの真実を認め、友人たちにヨブの所に行ってお詫びをしなさいと命じました。友人たちはヨブの所で和解の献げものを捧げ、ヨブは友人たちのために祝福を祈ったところ、ヨブの試練と苦しみは取り除かれ、大きな祝福がヨブに届けられました。更に関係が絶たれていた兄弟姉妹やすべての知り合いがヨブと共に和解の食卓に着いたのです。 神の義は赦しと和解に表れます。人間の正しさは、法律を守っているとか、道義反しないというものです。神の義と人の正しさには天地の開きがあります。イエス・キリストの十字架は神の義の極みです。キリストの十字架によって神の栄光が表わされたと言われる理由はここにあります。神の義を求めて生きていきたいと思います。 祝福を祈ります。