今日の聖句9月19日(火)\(^o^)/ 民よどんなときにも神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。 詩篇62:8 そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。 ルカ6:12 ************ 今週のテーマ:老いの冠 きょうの聖書:イザヤ46:1-4 イザヤ書46章3節4節 ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。 「聖書と信仰」 イザヤ書46:1で「ベルはひざまずき、ネボはかがむ。彼らの像は獣と家畜に載せられる。あなたがたの荷物は、疲れた動物の重荷となって運ばれる」と言われています。ベルはアッシリヤの偶像でカナンのバアルと同じものです。また、ネボはバビロンの偶像です。両者は自分では動くことすらできず、牛馬に重荷として運ばれなければならない役立たずです。 3節4節では、創造主である神様はイスラエルが生まれる前から愛と保護を与え、イスラエルが苦しむときは背負ってきました。そして神様はイスラエルに対してこれからも「わたしは運ぶ。背負って救い出す。」と宣言しています。牛馬の重荷でしかない偶像を礼拝すること止め、真の救い主である御父にすがれと訴えているのです。 イザヤの時代、北イスラエルには偶像礼拝が蔓延し、アッシリヤに滅ぼされて国民は離散し、今現在もどこで何をしているのかわからない有様です。同じように南ユダ王国も偶像を礼拝し、真の神様に仕えて生きる人はいなくなってしまいました。その原因は生贄を献げて礼拝しても聖書(申命記)を読まなかったからです。 ヨハネはヨハネ1:1で「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」と言いました。聖書には私たちを救う力があり、聖書は私たちの生活を正しい道に導きます。毎日、時間と場所を決めて聖書を読み続けることが大事です。読み続けているうちに、心の中から罪を犯したくないという気持ちが出てきます。これが聖書を読む人に与えられる恵みです。 祝福を祈ります。