今日の聖句9月16日(土)\(^o^)/ 主よ。あなたは私のたましいの訴えを取り上げ、私のいのちを贖ってくださいました。 哀歌3:58 このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。 1ペテロ2:21 ************* 今週のテーマ:文書の記録 きょうの聖書:ヨシュア24:25-28 ヨシュア記24章25節26節27節 ヨシュアはその日、民と契約を結び、シェケムで彼らのために掟と定めを置いた。ヨシュアはこれらのことばを神のみおしえの書に記し、大きな石を取り、主の聖所にある樫の木の下に立てた。ヨシュアは民全体に言った。「見よ、この石は私たちに対して証しとなる。この石は、主が私たちに語られたすべてのことばを聞いたからである。あなたがたが自分の神を否むことがないように、これはあなたがたに対して証しとなる。」 「主に仕える」 これはヨシュアの最晩年のことです。ヨシュアはイスラエルに「主に仕えなさい」と命じ、イスラエルは三回にわたってヨシュアに「私たちの神、主に仕え、主の御声に聞き従います」と約束しました。これがヨシュアが民と結んだ契約の内容です。これがイスラエルの掟とされ、定めとされたのです。 ヨシュアはこの契約を大きな石に刻み聖所にある樫の木の下に立てました。「私たちの神、主に仕え、主の御声に聞き従います」という音声と、それを刻んだ大きな石が証拠とされました。しかし、イスラエルは「主に仕える」という言葉の意味を理解していません。約束の内容が理解されていないのです。 イスラエルの民の理解では、主に仕えるということは偶像を拝まず、定められた日に犠牲を捧げるという二つのことだけでした。現実には偶像を拝まず、いけにえを捧げるだけでは主に仕えていることにはなりません。主に仕えるとは、神様を見上げて生きることであり、神様の姿勢に見倣って生きることだからです。 何しろ神様は肉眼では見えませんから、神様を見上げることも神様の姿勢に注目することもできないのです。神様はご自身のお姿を人間に直接見せるためにイエス様をお遣わしになりました。イエス・キリストを見た人間は初めて神様を見ることができ、神様に仕えて生きるということができるようになったのです。 祝福を祈ります。