今日の聖句9月9日(土)\(^o^)/ 主はご自分の契約をとこしえに覚えておられる。命じられたみことばを千代までも。 詩篇105:8 神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。 ローマ11:29 ************ 今週のテーマ:重荷 きょうの聖書:エレミヤ17:14-18 エレミヤ書17章14節15節16節 私を癒やしてください、主よ。そうすれば、私は癒やされます。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。ご覧ください。彼らは私に言っています。『主のことばはどこへ行ったのか。さあ、それを来させよ。』しかし私は、あなたに従う牧者になることを避けたことはありません。癒やされない日を望んだこともありません。あなたは、私の唇から出るものが御前にあることをよくご存じです。 「エレミヤの祈り」 エレミヤは神様のみことばをそのままエルサレムに向けて語りました。偶像礼拝を止めて悔い改めよ、と言い、神の裁きが来る、エルサレムは滅ぼされると歯に衣を着せずに語りました。エルサレムは罵詈雑言をもってエレミヤを打ち叩き、エレミヤは傷つきました。悪人の中に住み悪人に向けて説教することはとても疲れることです。 エレミヤは、「私を癒やしてください、主よ。そうすれば、私は癒やされます。私をお救いください。そうすれば、私は救われます」と祈りました。癒しと救いを求めて祈ったのです。神様に忠実に仕えていたエレミヤは全能の父である神様に祈ることができました。天地の創造者である神様に救いを求めて祈れるとはなんという幸いでしょう。 悪人たちは「主のことばはどこへ行ったのか。さあ、それを来させよ」と言い、神の裁きはないではないか。エレミヤはエルサレムが滅ぼされると言ったが、それは嘘だったのだと決めつけています。今の時代にも、神はいない、天国はない、地獄もない、神が人を創造したという話は嘘だと叫ぶ人が大勢います。 そういう社会の中でクリスチャンとして証を立てて生きていくことは疲れることです。しかし、私たちもエレミヤのように全能の父である神様に癒しと救いを求めて祈れます。御父はイエス・キリストの十字架によって私たちを癒し、私たちに新しいいのちと力を注いてで生かしてくださいます。何よりありがたいことは私たちを愛し、私たちの味方である神、イエス様に祈れるということです。 祝福を祈ります。