今日の聖句9月1日(金)\(^o^)/ 助言する者が多すぎて、あなたは疲れている。 イザヤ47:13 自分を知恵のある者と考えてはいけません。 ローマ12:16 ************ 今週のテーマ:主に従う きょうの聖書:エレミヤ12:1-3 エレミヤ書12章1節2節3節 なぜ、悪者の道が栄え、裏切りを働く者がみな安らかなのですか。あなたが彼らを植え、彼らは根を張り、伸びて実を結びました。あなたは、彼らの口には近いのですが、彼らの心の奥からは遠く離れておられます。主よ。あなたは私を知り、私を見て、あなたに対する私の心を試されます。どうか彼らを、屠られる羊のように引きずり出し、殺戮の日のために取り分けてください。 「エレミヤの悩み」 エレミヤが悪者が栄えているのを見て神様に訴えています。悪者は口では神様を賛美しますが、心は神様から遠く離れているのです。神様に従う人に祝福があり、神様に逆らうものには罰があるはずなのに、なぜ神様に逆らう人が栄えるのか。エレミヤは神様の裁きの日に彼らを滅ぼしてくださいと訴えたのです。 エレミヤは祭司の町であるアナトテの出身でした。神様に仕えるアナトテの祭司たちがエレミヤを批判する先鋒に立ったのです。同じ神様に仕える同じ祭司でありながら、堕落したエルサレムに悔い改めを求めるエレミヤを神様に背いていると言って批判したのです。この人たちはエレミヤが言うようにエルサレムが滅ぼされるなどということは無いと主張していました。 エルサレムは政治指導者も宗教指導者も軍事指導者も偶像礼拝にのめり込み、創造者である神様への信仰も礼拝も捨ててしまっていました。エレミヤにはバビロニヤがユダ王国を滅ぼそうとして狙いをつけていることが分かっていました。ですからエルサレムは一刻も早く悔い改めて、体制を立て直す必要があったのです。 しかし指導者たちにはそれが分かりませんでした。神様に従わないということが国を亡ぼすことになるということの意味が分からないのです。私たち個人にしても神様に従わないならば救いはありません。しかし、罪を犯した人であっても悔い改めて神様に従うなら憐れみを受けて救いに与るのです。 祝福を祈ります。