今日の聖句8月25日(金)\(^o^)/ 私は無駄な骨折りをして、いたずらに空しく自分の力を使い果たした。それでも、私の正しい訴えは主とともにあり、私の報いは私の神とともにある。 イザヤ49:4 兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。 ヤコブ5:7 ************* 今週のテーマ:祝福 きょうの聖書:2テサロニケ3:16-18 テサロニケ人への手紙第二3章16節17節18節 どうか、平和の主ご自身が、どんな時にも、どんな場合にも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてとともにいてくださいますように。私パウロが自分の手であいさつを記します。これは、私のどの手紙にもあるしるしです。このように私は書くのです。私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。 「パウロの祝福の祈り」 これは、テサロニケ教会への手紙の挨拶の最後の言葉です。「平和の主」という言葉が使われていますがキリストこそ、平和の主であることをパウロは固く信じています。人にとって落ち着いた生活のために最も必要な要素は平和ですから、パウロは平和を祈っているのです。 この「平和」は戦いがない、争わない状態という意味だけでなく、健康や救いなどの要素が含まれています。愛のないところに愛を生み出す力を持つ平和であり、愛と平和と躍動する命に満ちた平和の主、イエス・キリストと共に生きる信仰生活の前途を祝福する言葉です。 最後にパウロは、自分の手で挨拶を記しますと書いています。当時、パウロはよく第三者に自分の語ったことを筆記させる形で手紙を書いています。しかし、その手紙の信ぴょう性を確実なものにするためと、内容の重要さを示す意味もあり、最後の部分を直筆で書いたのだろうと言われています。祝福の心を込めた手紙です。 聖書全巻で「平安」は105回、「平和」は120回出てくる言葉で信仰のキーワードの一つです。イスラエルでは平和をシャロームと言います。おはよう、こんにちは、の挨拶をを「シャローム」といい、挨拶を受けた人は「シャローム・シャローム」と返します。お互いに相手の平和を祈り合う姿はとても美しいです。シャローム。 祝福を祈ります。