今日の聖句8月19日(土)\(^o^)/ 主よ。あなたは私を知り、私を見て、あなたに対する私の心を試されます。 エレミヤ12:3 愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。 エペソ4:15 ************* 今週のテーマ:ヨベルの年 きょうの聖書:ヨシュア20:1-9 ヨシュア記20章2節3節4節 逃れの町を定めよ。意図せずに誤って人を打ち殺してしまった殺人者が、そこに逃げ込むためである。血の復讐をする者から逃れる場所とせよ。人がこれらの町の一つに逃げ込む場合、その人はその町の門の入り口に立ち、その町の長老たちに聞こえるようにその事情を述べよ。彼らは自分たちの町に彼を受け入れ、彼に場所を与える。そして彼は彼らとともに住む。 「逃れの町の実施」 ヨシュアに率いられたイスラエルがヨルダン川を渡り、カナンに入ってから逃れの町が作られました。ガリラヤのケデシュ、エフライムの山地のシェケム、ユダの山地のキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンとエリコの東の方ではルベン部族からベツェルを、ガド部族からギルアデのラモテを、マナセ部族からバシャンのゴランをこれに当てたといいます。 これはイスラエルの東西南北にあり、夫々有名な町です。もともとヨシュアは神様に忠実な人で、モーセと共に40年間荒野の旅をし、その中で神様の力を目の当たりにしてきました。イスラエルの全部族はヨシュアに従い、ヨシュアの信仰とヨシュアの決定通りに逃れの町を設定したのです。 これは誤って人を殺した人を復讐者から守るという神様の憐れみに基づくものです。人命尊重という言葉がありますが、逃れの町は神様がイスラエルに人命は神聖であることを教えるという意味がありました。家族を殺されたら殺した人を殺していいということは無いということです。 逃れの町に入った人はその時の祭司長が死亡するまで町にとどまり、その後は自分の出身地に変えることができました。祭司長の死と言いますが、それは殺人者の死という意味になります。大祭司であるキリストの死が罪びとの死と見なされる原型です。レビ記4章にも小羊の死が罪びとのいのちを贖うという記事もあります。実にイエス・キリストは旧約聖書を満たしているのです。 祝福を祈ります。