今日の聖句8月18日(金)\(^o^)/ 幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を求める人々。 詩篇119:2 これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。 マタイ5:19 ************ 今週のテーマ:ヨベルの年 きょうの聖書:民数記35:9-15 民数記35章10節11節12節 イスラエルの子らに告げ、彼らに言え。ヨルダン川を渡ってカナンの地に入るとき、あなたがたは町々を定めて、自分たちのために逃れの町とし、誤って人を打ち殺してしまった殺人者がそこに逃れることができるようにしなければならない。この町々は、復讐する者からあなたがたが逃れる場所となる。殺人者が、さばきのために会衆の前に立たないうちに死ぬことのないようにするためである。 「逃れの町」 「誤って人を打ち殺してしまった殺人者がそこに逃れることができるようにしなければならない」と言われています。「殺人者が、さばきのために会衆の前に立たないうちに死ぬことのないようにするためである」と理由が述べられています。故意に人を殺した場合は処刑されなければならないかもしれませんが、誤って人を殺した場合は、裁判をして刑を決めなければなりません。 この逃れの町はヨルダン川の西岸に三つ、東岸に三つレビ族の領地内に作るように指示されました。イスラエルの地のどこで問題が起こっても、すぐに避難できるように避難所が設けられたのです。これはイスラエル人だけでなく異邦人寄留者や旅行中の人にも当てはめられました。これは神様の憐れみの表れです。 これは、復讐する者に関連した習慣から起こっています。復讐を肯定する考えがありますが、聖書では復讐は禁じられているのです。被害者は自分では復讐せず、神様の復讐に任せなさいということです。逃れの町は、私たちの信仰生活の中で、神様の陰に隠れる逃れ場に通じるのです。 ダビデは詩篇55:8で「嵐と疾風を避けて私の逃れ場に急ぎたい」と言いました。これはダビデがサウル王から命を狙われてイスラエル全土を逃げ回っていた時のことです。死ぬわけにはいかないし、かといって神様が立てた国王を殺すわけにもいかず、ダビデは逃れ場を求め続けたのです。今私たちには私たちに無罪の判決を下してくださる救い主イエス様がいます。イエス様こそ究極の逃れの町なのです。 祝福を祈ります。