今日の聖句8月14日(月)\(^o^)/ 口のきけない人のために、口を開きなさい。すべての不幸な人の訴えのために。 箴言31:8 牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやりなさい。また、自分も肉体を持っているのですから、虐げられている人々を思いやりなさい。 ヘブル 13:3 ************* 今週のテーマ:ヨベルの年 きょうの聖書:レビ25:1-7 レビ記25章2節3節 イスラエルの子らに告げよ。わたしが与えようとしている地にあなたがたが入ったとき、その地は主の安息を守らなければならない。六年間はあなたの畑に種を蒔き、六年間ぶどう畑の刈り込みをして収穫をする。七年目は地の全き休みのための安息、主の安息となる。あなたの畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の刈り込みをしたりしてはならない。 「安息年」 創世記に神様が天地を創造した時、六日間で創造の働きを終え、七日目に休まれたという記事があります。そして、神様はシナイ山でモーセにこの安息年の命令を出されたのです。一週間の終わりの日を休日とし、七年間の終わりの年を安息年として休ませるということです。 安息日の休みは翌日からの働きを支え、安息年は翌年からの農産物の収量を増やします。土地が枯れるという言葉があり、土地が肥えるという言葉があります。モーセの時代にも畑に肥しを費やすということはしたかもしれませんが、畑を休ませるという方法もあったのです。今の日本でも同じ畑に同じ作付けをする連作は避けるという考え方があります。 休みという言葉は安息と言い替えられます。聖書では安息を救いと同義語て使用しています。それは、成長と発展への大事な通過点です。キリストは私たちに安息を与え、キリストの安息は私たちを神の子として成長させ成熟させてくれます。キリストは私たちに安息を与えるために十字架の死を遂げられたのです。 安息日は恵みの日であり、安息年は恵みの年です。今イスラエルへ行くと広い農場の中に500坪ほどの作付けされていない畑が点在しているのを見ることができます。聖書を読んで聖書の教えに忠実に生きようとする姿勢を感じます。神様の教えは私たちの生活を向上させるものですからみことばをしっかり守って生活していきたいと思います。 祝福を祈ります。