今日の聖句8月13日(日)\(^o^)/ 神は大いなることを行って測り知れず、その奇しいみわざは数えきれない。 ヨブ 9:10 神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださ いました。 エペソ1:3 ************ 今週のテーマ:ヨベルの年 きょうの聖書:ルカ10:25-37 ルカの福音書10章30節〜34節 ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。 「優しいサマリヤ人」 これは善きサマリヤ人と呼ばれている物語です。強盗に襲われた旅人はユダヤ人です。同じユダヤ人であり、本来人助けをすべき宗教指導者である祭司も、礼拝奉仕者であるレビ人も怪我人を助けませんでした。ふだんはユダヤ人から汚れているとしてさげすまれていたサマリヤ人が怪我をしたユダヤ人を助けたのです。 イエス様は、十戒を守り、神を愛し、人を愛していると自負しているユダヤ教の律法学者に、永遠のいのちを欲しいなら、このサマリヤ人と同じようにしなさいと指導しました。これは、慈善行為を推奨する話ではなく、自分の義を示そうとするユダヤ教の律法主義を批判している話なのです。信仰と愛は口先や形式では成り立ちません。 人間には悪いことと知りながらそれを止められず、良いことと知りながらそれを実行できない弱さがあります。特に律法主義者は他人には罪を犯すな、神と人を愛せと教えているのに、自分ではその逆を行ってしまうという問題がありました。一方、さげすまれていたサマリヤ人は、この倒れている怪我人をかわいそうだと思ったのです。 気の毒に、かわいそうだとは、イエス様が私たちに向けてくれる優しさを表す言葉です。サマリや人は、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやったというのです。オリーブ油には鎮痛効果があり、ぶどう酒には殺菌作用があると言われています。イエス様はこのサマリヤ人のように私たちを助けて癒してくださる御方です。 祝福を祈ります。