今日の聖句8月1日(火)\(^o^)/ 私にとって神のみそばにいることが幸せです。私は神である主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げます。 詩篇73:28 躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。 使徒3:8 ************* 今週のテーマ:滅びの中にも きょうの聖書:ヨブ7:17-21 ヨブ記7章17節18節19節 人とは何ものなのでしょう。あなたがこれを尊び、これに心を留められるとは。朝ごとにこれを訪れ、その都度これを試されるとは。いつまで私から目をそらしてくださらないのですか。唾を飲み込む間も、私を放っておいてくださらないのですか。 「監視と見守り」 ヨブは神様が自慢にするほど立派な生き方をしていました。それに対してサタンが、「神様がヨブに恵みを与えているのでヨブは余裕で良い暮らしができているのです。ヨブから神様の恵みが奪われれば、ヨブも並の人と同じように罪深い生活に落ちるはずです」と言い、神様の許可を得て、ヨブに攻撃を仕掛けました。 ヨブは家族も、財産も、健康を奪われても「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と語って、罪を犯すことは無く、愚痴さえ口にしませんでした。全身を重い皮膚病で侵され日夜苦しむ中で、ヨブは神様から苦しめられ、神様から監視されていると考えるようになりました。 あたかも神様と敵対関係にあるかのように錯覚してしまったのです。しかし、実際はヨブを攻撃し、ヨブを監視してしたのはサタンでした。サタンの監視は刑務所の刑務官が受刑者を監視するような厳しい監視で、ヨブにはいたたまれませんでした。そして、ヨブは死を求めるようになってしまったのです。 神様はサタンのヨブに対する攻撃があまりにも熾烈なのでヨブのいのちとヨブの心を心配して、ヨブを見守っていました。ヨブはサタンの監視と神様の見守りの間で苦しんだのです。神様の見守りはサタンの監視と違って、母親が幼い子供を見守るような愛情に満ちた見守りでした。今私たちが辛い試練の中に置かれているとしても、神様は私たちに救いと癒しを用意して見守っていてくださるのです。 祝福を祈ります。