今日の聖句7月21日(金)\(^o^)/ ラッパとシンバルと様々な楽器を奏でて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主に向かって賛美した。そのとき、雲がその宮、すなわち主の宮に満ちた。 2歴代誌5:13 都は、これを照らす太陽も月も必要としない。神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである。 黙示録21:23 ************ 今週のテーマ:祈り きょうの聖書:エズラ9:10-15 エズラ記9章12節 だから今、あなたがたの娘を彼らの息子に嫁がせてはならない。また、彼らの娘をあなたがたの息子の妻にしてはならない。永久に彼らの平安も幸せも求めてはならない。それは、あなたがたが強くなり、その地の良い物を食べ、これを永久にあなたがたの子孫の所有とするためである。 「禁令破り」 エズラは10節で「私たちはあなたの命令を捨てた」と言って悔い改めていますが、その神様の命令とは、雑婚禁止命令でした。性を汚してはならないという命令であり、レビ記18章に記されています。出エジプトしてカナンに入国する前に、カナンの汚れを受け入れてはならないという警戒のことばです。 バビロンに移されてエズラが生まれるまでの100年間、第二次帰還までの120年間でユダヤ人は当然のことのように現地の人と婚姻し、混交しあってしまったのです。これは、ユダヤ人がユダヤ人として立っていくためには非常に危険なことであり、造り主である神様を捨て去る行為でした。 混ぜ合わせると強くなるという考え方がありますが、これは信仰面では絶対不可です。日本の習合信仰が日本を狂わせているという現実があります。「清水に大魚はすまず」とか「嘘も方便」などと言われるのです。信仰には不信仰が混ざることは不可です。祈りに疑いが混ざることが不可であり、礼拝に犯罪が混ざることはあり得ないことなのです。 正直に生きる人の人生には一点のシミも汚れもあってはならないわけです。私たちに必要なのはキリストに対する純粋な信仰です。私たちの信仰が純粋になることを「きよめられる」と言います。それはキリストから与えられる恵みです。私たちにできることはキリストだけを信じて生きると決断することです。あとはキリストが成し遂げてくださいます。 祝福を祈ります。